6月24日土曜日、琉球藍のブランドaimunの新作リリース企画を南風原町宮平のゆいまーる沖縄 本店<Storage & Lab.>にて行います。
この企画は、aimunの新作であるポーチのお披露目とともに、琉球藍そのものやプロダクトを見てもらい、知ってもらい、育てたい方には苗木を販売して育てて頂く、という内容になっています。
ちょうど先日、
琉球新報の長嶺記者が伊野波藍製造所と琉球藍のことを取り挙げ、ところどころで話題にのぼりました。私はLINEの琉球新報ニュースでトップ画像に仲西さんが写っておられるのを拝見して、驚くと同時にとても多くの方に目に触れるニュースになったのだ、と少しだけ嬉しくも思いました。
そのあと沖縄タイムスさんでも取り挙げられ、より多くの方がこのニュースを目にしたことと思います。
上の写真は、2015年の春に琉球藍の収穫の手伝いに行った際に撮影した写真です。このときすでに80代の生産農家さんが一人で収穫した軽トラ一台分の琉球藍を納品しに来た時の様子。
伊野波藍製造所のとても大きな藍甕には、3から4トンくらいの藍葉を入れるのが作業効率上よいそうです。その量は染料としての藍の需要とも見合った量。
そのため一気に収穫して一箇所に集め、大掛かりな漬け込みの作業が始まります。
上の写真の収量は200kg弱でした。
とある山の琉球藍の畑はこんな感じです。この時は4名も一緒に作業することができたので捗りました。
さて、6月24日の企画へ向けて、琉球藍のことを多方面から調べようとしていますが、文献などは少ないようです。
沖縄には他にもたくさんの草木染め染料がありますから、多くの染色家の方がおっしゃるように、数ある染料の中の一種として捉えられてきたのが通例です。
ですがその「名脇役」にスポットライトが当たり始めており、琉球藍の価値は高まりつつあると感じます。そこに生産が追いつかないのが現状のようです。
琉球文化社『琉球の文化 第二号』1972年発行
の中に、故・大城志津子さんの琉球藍に関する文章がありました。
今でこそ藍づくりは特定の人の手に委ねられているが、昔はごく普通に、自分の屋敷内とか畠のまわりの木蔭などに藍草を植えて、それを自ら製造し、そして染めたものである。現在では普通の店先にもいろいろな色使いをした反物が出廻っているけれども、戦前の着物といえば、首里の特殊なもの以外は殆んど藍染めであった。だから当然あの頃の女性は、晴着にしろ、普段着にしろ、藍染めの着物を持っていたものである。
今回のaimun新作リリース企画の中で行う苗木の販売は、ゆいまーる沖縄で初めての試みです。
ですが、大城志津子さんが書きのこしているように、かつてはこうしてそれぞれの家で屋敷内に植えて、自ら製造したという暮らしの中の琉球藍の姿があった。
瑞々しく目を潤すこの琉球藍のある風景は、きっと豊かな暮らしを彩っていたことだろう、と思います。
根拠はありませんが、このような一つの植物から暮らしの在り方を想像してみることで導き出せる「本当の豊かさ」があるのではないか、と考えます。
今回発表する新作はカジュアルなポーチです。
普段づかいしたくなる、沖縄の風景を秘めたプロダクト。
小さなきっかけから、より良い繋がりが生まれることを願って、企画を実施します。
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------------------------------------------------ 店長 嘉陽 -----------